ハチコウ大学講座
自主企画講座「大河ドラマをより楽しむために 天下をとった徳川家康が築いた江戸城散策」を開催しました!
大河ドラマとして「どうする家康」が放映されていますが、悩みながらも、最終的に天下をとった徳川家康が築いた江戸城とは、一体どういうお城だったのでしょうか。皇居東御苑を中心に、日本最大の城・江戸城を散策します。
今回は、久しぶりに区外に行きました。構内が広い大手町駅での集合でしたが無事集まり、皇居東御苑に向かいました。
まずは大手門です。
慶長11年(1606)、藤堂高虎の設計といわれています。寛永6年(1629)の工事の際には酒井忠世が分担し、左右の石垣は、伊達政宗が築造しました。
江戸城の正門で、大名の多くはここから登城したようです。。大手門の高麗門をくぐって中に入ると、枡形と呼ばれる四角く囲まれた広場になっています。枡形は、敵が城内にまっすぐ侵入するのを防ぐとともに、攻撃の際には逆に、兵の集合場所にもなる場所で、周囲の白壁には「狭間」という銃を撃つための穴が設けられています。荷物検査のため列になっていました。
平川門です。
本丸大奥に通じる奥女中の通用門だったため別名「お局門」、場内の死者や罪人などの出口とされていたことから「不浄門」ともいわれています。
赤黄色とまだまだ紅葉が続いていて、とても綺麗でした。
城の石垣です。江戸城の石垣はそのほとんどが伊豆石だったようです。伊豆半島では硬質の安山岩が掘り出されており、築城に向いた硬質の安山岩が主に切り出されました。さらに陸路よりも、海運において江戸に石を運びやすかったことも選ばれた理由だったようです。
外堀の石垣しかみたことがなかったので、思った以上に高いことにびっくりしました。
天守台です。強度を増すための工夫として「算木積み」もしてありました。角がとても綺麗です!
江戸城の天守閣は開城初期の50年ほどしかなかったそうです。火災で焼失後、天守の再建は当時の将軍後見役で、家光の異母弟、会津藩主の保科正之が「被災した人たちの救済と江戸の街の再建が先であろう。いまは、天守再建の時にあらず。」と宣言して、築城工事が見送られ今にいたるようです。
天守台からは皇居周辺を見渡すことができます。都心にこんなにも自然あふれる土地があるのはとても落ち着きますよね。
場内を散策していると茶畑がありました。
果樹園もあり、たくさん実がなっていました。
江戸城松の廊下跡です。播磨赤穂藩藩主の浅野内匠頭が指導役だった吉良上野介に突然斬りかかった事件、忠臣蔵につながるお話です。今は跡地として伝えられています。
現存する3つの櫓の一つ、富士見櫓です。将軍様がここから富士山を眺めたり、江戸川の花火を見学していたそうで、天守の代わりの役割もしていたようです。
最後に百人番所です。いわゆる警備の詰めところです。有事に備え精鋭部隊の鉄砲百人組が昼夜交代でここに詰めていたそうです。しかしながら、有事は起こらず暇を持て余していたそうです。でも平和が一番ですよね。
今回のひと駅散歩では、皇居内を散策しましたが、普段からこのように広く開放されていることに私も含めて学生のみなさんも大変驚いていました。
渋谷だけでなく、歴史を感じながら知見を深められるように、、区外の様々なエリアにも足を延ばして新しい発見をしていきたいと思います!
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